寺本姉弟

私たち姉弟は、四人兄弟の長女と次男として島根県邑南町(おおなんちょう)に生まれ育ちました。
邑南町は国土交通省指定の豪雪地帯で、膝上くらいはほぼ毎年降り積もり、腰まで積もるときもあります。
昔は家の一階まで積もり、二階から出入りをしたこともあったそうです。

家は代々受け継がれてきた農家の家で、祖父母も父も農家でした。聞くところによると、室町時代から続く歴史のある農家のようで、大昔は焼き討ちにあってしまうくらいには豪農だったようです。当然ではありますが、現在はそんなこともなく細々と、しかし楽しく農業を営んでおります。

左から秋穂(1歳)、長男(6歳)
左から直人(8歳)、三男(3歳)、秋穂(10歳)

さて前置きが長くなってしまいましたが、農家の家に生まれた私たちは幼いころから農業に触れてきました。時にはネギ畑に行って泥遊びをしたり、時には「お前たちの仕事はトマトを食べることだ!!」と仕事をする父の隣で友達と一緒に無心にトマトを食べたり。
田んぼをトラクターで耕す父をただボーっと眺めていた時もありました。
トラクターを車庫に戻すときに、一緒に乗せてもらったたった数分間のワクワクとドキドキは、
今でも瞳を閉じると当時の光景や興奮が鮮明に思い出されます。

イチゴの選別作業をする祖母
左から父、祖父、祖母

また物心つく頃には、農業の手伝いをするようになりました。畑に肥料を撒いて野菜を植える準備をしたり、トマトの収穫や箱詰めなどをして一緒に出荷に行ったりとたくさんの手伝いをしました。
もちろん大変な作業ばかりで、手伝いを終えるころには「ふぅーーー…」と子供ながらに大人顔負けのため息をつくこともありました。
しかし不思議と嫌な気持ちはなく、とても楽しい気持ちでした。そして父の作る野菜はお客さんからとても好評でした。一緒に出荷に行った時にはお客さんから「寺本さんの作る野菜は本当においしいわねぇ」と言われていたり、学校の友達からは「お前んちの父ちゃんのトマトめっちゃ甘いわ!もう他の食えん!」と言われたり、農家である父の周りにはいつも笑顔や感謝であふれていました。



そんな農家である父に憧れ、私たち姉弟は将来は父さんのような人を幸せにする農家になる!と決意し、
今では農家としてお客さんを幸せにできるように頑張っています。

農業の思い

私達にとって農業とは、「日常」でした。
家の隣は田んぼや畑で、泥遊びをしたり農業の手伝いをしたり
農業をしたりと、幼い頃から今までずっと農業に触れてきました。

そして農業から多くのことを学びました。幼いときの思い出だったり、
大きくなったら農家になりたい!といった夢だったり、
農業を通じてたくさんの方々との触れ合いや経験だったり、
多くの出会いや失敗を乗り越えての成功などの成長だったり。
気づけば私達にとっての農業とは、「人生そのもの」でした。
そしてこれからもずっと農業と共に歩んでいこうと思います。

そして現在は、地元の農業研修生の方に農業を教えたり、
地元の保育園児から高校生まで子供たちに
食農教育や職場体験を通じて農業を伝えたり、
周りの方々の未来を作るお手伝いもしています。
これまで農業を通じて多くのことをことを「貰って」きましたが、
気づけばお客さんの感謝や感動や、
これからの農家や子供たちの未来の一助になるなど、
農業を通じて多くのことを「与える」農家になっていました。

これからも私達は、関わっていく人たちに「感動」や「未来」を提供し、
関わっていく人たちが幸せになるような農家を目指していきたいです。
農業には、これらを実現する「魅力」があると信じています。

寺本秋穂(寺本果樹園)

寺本果樹園代表。幼いころから農業に興味を持ち、地元の農業高校、農林大学校に進学し専門的に農業を学び、卒業後は地元である邑南町で農業を始める。実家が野菜農家であったことから、「私は違うことをやってみたい」と思い農林大学校では果樹を専攻、現在はシャインマスカット、イチゴを栽培している。

寺本直人(寺本野菜園)

寺本野菜園代表。幼いころから農業に興味を持ち、地元の農業高校、農林大学校に進学し専門的に農業を学び、卒業後は地元である邑南町で農業を始める。実家が野菜農家であったこと、四兄弟の中で一番手伝いをしていたことから、「僕も将来は野菜農家になりたい」と思い農林大学校では野菜を専攻、現在は大玉トマト、ブロッコリー、キャベツなどを栽培している。